MAZONE de よもやま話 第5号
「アニメ制作サークル、MAZONE」
アニメを作ってみたい。
けれど、アニメ制作というものは、外から眺めているぶんにはあまりにも遠い。
難しそうだし、複雑そうだし、そもそも一体どういう手順で、どういう人たちの手によって作られているのか、その時の私にとっては、その輪郭すら曖昧なままでした。
私はこれまで、たったの一度もアニメ制作に携わったことがありませんでした。
現場を見たこともなければ、制作の流れを肌で知ったこともない。
ただ、ひたすらに、アニメを見るのが好きでした。
その純粋すぎるほど純粋な気持ちだけを携えて、いつか自分も制作に関わってみたい、あの画面の向こう側に、ほんの少しでも触れてみたい―― そんな思いだけを抱えてたどり着いたのが、自主制作アニメコミュニティ「MAZONE」でした。
とはいえ、辿り着いた応募フォームを前に、そこへ至るまでの心中は、晴れやかな決意一色などではもちろんありませんでした。
こんな何も知らないぺーぺーが飛び込んで良いのだろうか。右も左も分からない人間が、入って良い場所なのだろうか。教えを乞うばかりで、結局は足を引っ張り、迷惑をかけるだけではないのだろうか。
今振り返れば、ずいぶんと自意識の濃い逡巡ですが、これまでの私はそんなふうに悶々と頭の中を巡り続ける、自分で自分の前に積み上げた見えない障壁に、長らく足を止められてきた人生でもありました。
やりたい気持ちはあるのに、「でも自分なんかが」がそのたびに立ちはだかる。
いやしかし。そんな煮え切らない自分に、今日こそはけりをつけてやると意を決して、あり余る熱意だけを文章に詰め込み、応募フォームを送信しました。
すると驚くほどとんとん拍子に面談の日程が決まり、迎えた当日。
私は勝手に、もっとこう、厳かな空気を想像していました。
面接、審査、選別――そんな言葉の似合う、どこか張り詰めた場を思い浮かべていたのですが、実際にはとても丁寧に、和やかにお話をしていただきました。
そして、そんな私に天野さんが与えてくださった役職は、
「副音響監督」
でした。
……?
一回聞き間違いかと思いました。
“補助”とか“お手伝い”とか、そういうやわらかい言葉ではなく、監督。
しかも副とはいえ音響監督。
責任の響きが強い。漢字がもう強い。
“監督”その二文字の持つ比重たるや、受け取った瞬間に肩へずしりと落ちてくるものがありました。
こちらはまだ「アニメを作ってみたいです……!」の、ほぼ熱意だけでここまで来ている人間なのに、急に責任感のある肩書きを授かってしまいました。
もちろん、実際の私はそんな大層なものではありません。
学校で多少音響を学んでいた、その程度です。
とはいえ、こんな私ができることと言えば、学校で多少学んだ音響で手伝わせていただくことぐらい。
そうして腹をくくって飛び込んだ先で私が見たのは、
“アニメという一つの作品が、信じられないほど多くの肯定と、多くの人の手によって、少しずつ形になっていく光景”でした。
キャラクターを設計する人がいて。
そのキャラクターを、どの角度から見ても崩れないように整える人がいて。
背景を描く人がいて。
絵コンテがあり、演出があり、撮影があり、編集があり、音楽があり、効果音があり、声が乗り、最終的に一本の映像として“息をし始める”。
アニメは知っていました。
見ていました。
大好きでした。
けれど、アニメの一秒の裏に、こんなにも膨大な“部品”と“人の判断”が詰まっている ことは、MAZONEに入るまで、正直まるで分かっていませんでした。
この表情で、本当に感情は伝わるのか。
この間は長いのか、短いのか。
この音は重いのか、軽いのか、響きすぎていないか、抜け感は足りているか。
ほんのわずかな差異で、場面の印象や感情の流れは驚くほど変わってしまう。
その繊細極まりない差を、一つひとつ丁寧に掬い取り、妥協なく向き合っていく人たちがいる。
何も知らない私には、それがひどく衝撃的でした。
なぜなら、作品というものはもっと大きな力や、大きな発想で動いているのだと、どこかで思っていたからです。
けれど実際には、作品を作品たらしめているのは、そうした大仰なものだけではない。
むしろ、誰かが見落としそうな小さな違和感を見逃さないこと、曖昧にせず詰めること、その果てしない積み重ねこそが、画面に説得力を与えていたのです。
私が目にしたのは、ただの“絵”ではありませんでした。
ただの“映像”でもありませんでした。
それは、人の技術と執念と美意識と責任感が、気の遠くなるほど丹念に縫い合わせられて立ち上がっていく一つの総合物 でした。
しかも、それが有志によって成り立っているというのだから、なおさら驚かされました。
ここが、本当にすごい。
それぞれに生活があり、仕事があり、学業があり、当然ながら疲労もある。
その中で時間を捻出し、自分の技術を持ち寄り、一つの作品に向かって手を動かし続ける。
好き、という言葉では収まりきらないほどの熱量がなければ、とても続かないような細かな工程を、それでもなお投げ出さずに取り組んでいる。
自主制作と聞くと、ともすれば“自由で気軽な集まり”のような印象を抱かれることもあるかもしれません。
けれど、少なくとも私がMAZONEで見たものは、そんなふわりとしたものではありませんでした。
そこにはちゃんと役割があり、
ちゃんと責任があり、
ちゃんと工程があり、
ちゃんと一つの作品を前へ進めるための連携と対話がある。
各々が好き勝手に手を動かしているのではない。
一つの方向を見据え、歯車を擦り合わせ、少しずつでも確かに作品を前進させるための、静かで粘り強い熱がそこには流れていました。
その気配が、私にはたまらなく眩しく映ったのです。
そして、そうした多種多様な工程と人の流れを束ね、全体を作品として成立させていく夜明野監督や天野さんの手腕にも、感服せずにはいられませんでした。
これは言うのは簡単ですが、実際にはとんでもなく難しいことだと思います。
人が集まれば、経験値も違えば、得意分野も違う。
使える時間も違えば、理想も違うし、こだわりの置きどころだって違う。
熱意があるからこそ譲れないものも生まれる。
しかもこのコミュニティは、アニメ制作に対してこれほど真摯でありながら、なお「まず生活が第一」という姿勢を崩しません。
作品への熱意だけで突き進むのではなく、参加する一人ひとりの日常をきちんと尊重している。
その中で、作品として方向を揃え、工程を回し、人と人をつなぎ、最終的に形にする。
その在り方には、率直に言ってさらに驚かされました。
まさに、そうした安心感のある空気もまた、天野さんの手腕あってこそなのだと感じます。
それは単なるまとめ役ではなく、作品の呼吸を絶やさないための調律に近い仕事なのだろうと思います。
私は入る前まで、「アニメを作る人たち」という存在を、どこか遠いところの住人のように思っていました。
選ばれた人たちの世界というと大げさかもしれませんが、少なくとも自分がその端に触れられるような場所ではないと感じていました。
けれど実際に飛び込んでみると、そこにいたのは、確かにすごい人たちなのですが、同時に、作品を良くするために考え、悩み、迷い、手を動か し、互いを支えながら前へ進んでいる人たちでした
そのすごさは、ただ遠くで光っている眩しさではありません。
積み重ねてきた時間、磨き上げた技術、作品に対する誠実さが、そのまま現場の空気になっている種類のすごさです。
だからこそ、何も知らない自分が見ても圧倒されるし、感動するし、同時に身の引き締まる思いがする。
「アニメが好き」という気持ちだけで飛び込んだ私でしたが、MAZONEに入って初めて、アニメというものが、どれほど多くの人の本気によって成り立っているのかを知りました。
知らないことは山ほどありますし、「アニメってこんなに大変なんだ」と青ざめる瞬間も普通にあります。
役職名の重さに、今でもたまに「本当に私で合っていますか?」となります。
できればもう少し、こう、初心者に優しい響きの肩書きが欲しかった気もします。
副音響監督。やはり字面が強い。強すぎる。
それでも、あの時応募フォームを送って本当に良かったと思っています。
アニメは、画面の中だけで生まれるものではありませんでした。
たくさんの人の手と、判断と、責任と、熱意が、気の遠くなるような工程を少しずつ積み上げて、ようやく形になるものだったのです。
そのすごさを、私はMAZONEで初めて知りました。
そして今は、そんな現場の一端に自分も関われていることを、とても嬉しく思っています。
まだまだ未熟で、勉強させていただくことばかりです。
それでも、最初に抱いていた、「こんな自分が入って良いのだろうか」
という不安は、少しずつ、「せっかく飛び込んだのだから、できる限り食らいついていこう」という気持ちに変わってきました。
もし今、かつての私のように迷っている方がいるなら。
“何も知らないから無理”ではなく、
“何も知らないけれど、好きだから一歩踏み出してみる”という選択肢もきっとあって良いのだと思います。
少なくとも私は、その一歩の先で、「アニメを作る人たちの本気のすごさ」と、「それを本気で支えるコミュニティの強さ」を知りました。
そしてできることなら、これからもそのすごさを、もう少し近くで見ながら、少しでも力になれたらと思っています。
副音響監督として。
……いや、やっぱりまだちょっと肩書きは重いのですけどね笑
字/副音響監督 mogamon
Twitter: https://x.com/mogamonn